私 選 六 首

辞世の句

死ぬ間際に歌を詠む、という習慣が日本にはありました。時間はほとんど残っていない。それでも三十一文字に収めようとした。

好きな順に六首並べています。順位は完全に個人の好みで、優劣ではありません。作者や原文に不確かなところがある句には、そう書いてあります。

FIRST

豊臣秀吉

とよとみ ひでよし / 1537 – 1598

つゆとおち つゆときえにし わがみかな なにわのことも ゆめのまたゆめ

農民から天下人になった男の、最後の言葉です。伏見城で六十二歳。

「浪速のこと」は大坂で築いた栄華のことです。あれだけのものを手に入れた人が、夢のまた夢、と二重に打ち消して終わる。到達した人にしか言えない虚しさだと思います。

ことわり 「露と落ち」「露とおき」、「浪速のことは」「浪速のことも」など表記に揺れがあります。ここでは広く引かれる形を採りました。

露と落ち
露と消えにし
我が身かな
浪速のことも
夢のまた夢

SECOND

伊達政宗

だて まさむね / 1567 – 1636

くもりなき こころのつきを さきだてて うきよのやみを てらしてぞゆく

仙台藩の初代藩主。独眼竜と呼ばれた人です。七十歳で亡くなりました。

前の二首が「消える」歌なのに対して、これは灯りを持って出発する歌です。死を終わりではなく移動として書いている。曇りのない月を先に立てて、というのが、暗い場所へ行く覚悟としてやけに具体的で好きです。

曇りなき
心の月を
先立てて
浮世の闇を
照らしてぞ行く

THIRD

平維盛

たいら の これもり / 1159 – 1184

うまれては ついにしぬちょう ことのみぞ さだめなきよに さだめありける

平清盛の孫。『平家物語』は、戦線を離れて熊野で入水したと伝えます。二十六歳。

理屈だけでできている歌です。何ひとつ定まらない世界に、ただ一つだけ定まっていることがある。生まれた者は必ず死ぬ。感情を書かずに、論理で無常を言い切っている。冷たいのに、冷たさが慰めになる種類の歌だと思います。

ことわり この歌を維盛の辞世とするのは伝承で、確実な同時代の記録に基づくものではありません。日本語版ウィキペディアの「辞世」項では維盛の作とされていますが、維盛本人の項目には記載がなく、帰属には幅があります。

生まれては
ついに死ぬてふ
ことのみぞ
定めなき世に
定めありける

FOURTH

吉田松陰

よしだ しょういん / 1830 – 1859

みはたとい むさしののべに くちぬとも とどめおかまし やまとだましい

松下村塾で高杉晋作たちを教えた人です。安政の大獄で江戸に送られ、伝馬町の牢で斬られました。二十九歳。獄中で書いた『留魂録』の冒頭に置かれています。

体は朽ちてもいい、と先に認めてしまってから、それでも置いていくと続ける。教える側の人間の遺言だと思って読むと、宛先がはっきりしている歌です。実際、置いていかれた側が明治を作りました。

ことわり 結句は「留め置かまし」「留置まし」など表記に揺れがあります。「大和魂」という語は後の時代に政治的な意味を強く帯びましたが、松陰の用法をそのまま近代の用法と重ねて読むのは慎重であるべきです。

身はたとひ
武蔵の野辺に
朽ちぬとも
留め置かまし
大和魂

FIFTH

高杉晋作

たかすぎ しんさく / 1839 – 1867

おもしろき こともなきよを おもしろく

長州藩士。身分を問わない軍隊「奇兵隊」を作った人です。肺結核で、明治を見ないまま二十七歳で死にました。

世の中が面白くないのではない。面白くない世を、面白くする。死にかけている人間が言うから重いのであって、健康な人が言えばただの標語です。

ことわり この句には「すみなすものは心なりけり」という下の句が続く形で伝わりますが、これは看病していた野村望東尼が付けたとする説が有力です。ただし晋作自身が詠んだとする説もあり、確定していません。上の句だけを採りました。

おもしろき
こともなき世を
おもしろく

SIXTH

山岡鉄舟

やまおか てっしゅう / 1836 – 1888

はらいたや くるしきなかに あけがらす

幕臣で剣術家。江戸城の無血開城に向けて、西郷隆盛と直接談判した人です。胃癌で、五十三歳。

ここまでの五首と明らかに違います。志も無常も出てこない。腹が痛い。それだけ書いて、外で烏が鳴いて夜が明ける。禅をやり込んだ人が最後に「腹いたや」と書いたことが、いちばん正直で、いちばん強い気がして入れました。

腹いたや
苦しき中に
明けがらす

この六首について

並べてみると、死に方が全部違うことに気づきます。病死が三人(高杉・秀吉・山岡)、自死が一人(平維盛・伝承)、処刑が一人(吉田松陰)、天寿が一人(伊達政宗)。それぞれ残せる時間も、書ける内容も違っていたはずです。

辞世の句は、本人が本当にその場で詠んだと確認できるものばかりではありません。後世に整えられたり、別人の作が結びついたりします。ここでも確かでないものには、そう書きました。感動する話であることと、事実であることは別だと思うので。