読み物 / 学校と言葉の歴史
キリスト教の学校の入学式では、「あなたがたは神に選ばれた」という趣旨の言葉が語られることがあります。受験を勝ち抜いた自負をくすぐる言葉にも聞こえますが、もともとの意味は少し違います。このページでは、その言葉の出どころと、青山学院が150年かけて「選ばれた者の務め」を何だと考えてきたかを、年表でたどります。
要点
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。ヨハネによる福音書 15章16節(口語訳)
イエスが弟子たちと最後の食事をした夜に語った、長い別れの言葉の一節です。直前でイエスは弟子たちを「僕(しもべ)」ではなく「友」と呼び、この節のあとは「それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり」と続きます。
つまりこの「選んだ」は、試験の合格者を決めるような選抜ではありません。自分で名乗り出たのではなく、呼ばれた。呼ばれたのは、行って実を結ぶためだ、という話です。キリスト教ではこれを「召命(しょうめい)」、呼び出されて役目を与えられること、と言います。
入学式でこの言葉を聞くと、「難関をくぐり抜けた自分たちは特別だ」と受け取りたくなるかもしれません。けれども元の文脈に沿えば、言われているのはむしろ逆で、「自分の力で入ったと思うな。与えられた場所で、人のために実を結べ」に近い意味になります。
キリスト教には「神は救われる人をあらかじめ選んでいる」という予定の教え(予定説)を強く打ち出す流れもあります。青山学院の源流であるメソジストは、18世紀イギリスのジョン・ウェスレーに始まる運動で、この点で違う立場を取りました。神の恵みはすべての人に先回りして差し出されていて、誰もがそれに応えられる、という考え方です。
だから、メソジストの学校で「あなたがたは選ばれた」と言うとき、それは「ここにいない人は選ばれなかった」という線引きではありません。一人ひとりが呼ばれていて、ここではそれに応える場を与えられた、という意味で読むのが自然です。
日本のキリスト教主義の大学では、学生の多くはクリスチャンではありません。礼拝や聖書の授業は学びの一部として用意されていますが、信仰を持つかどうかは本人の自由です。信仰がなくても、「自分の実力だけでここにいるわけではない」「ここで得たものを人のために使う」という読み方なら、宗教を問わず受け取ることができます。
青山学院は、一つの学校として生まれたのではありません。アメリカのメソジスト監督教会から派遣された宣教師たちが、東京と横浜に開いた三つの小さな学校が、のちに一つになりました。学院はこれを「地に播かれた三粒の種」と呼んでいます。
ドーラ・E・スクーンメーカーが東京・麻布に開いた女子のための学校。11月16日の開校が、学院の創立記念日になっている。
ジュリアス・ソーパーが東京・築地に開いた男子の学校。のちの東京英学校、東京英和学校。
ロバート・S・マクレイが横浜・山手に開いた、伝道者を育てる神学校。
明治の初め、キリスト教の禁制を示す高札が撤去されたのは1873年です。三つの学校は、その直後の時代に開かれました。女子の教育から始まっていることも、この学院の特徴です。
年表の中で、1943年から1945年の3年間だけは、学校が自分で選んだ変化ではありません。戦時体制のもとで、キリスト教の学校は「敵国の宗教」と結びつけられ、神学部は閉鎖され、文学部と高等商業学部は他校に合併させられました。そして1945年の空襲で、建物の約7割が焼けました。
戦後の1949年、青山学院は新制大学として出直します。宣教師が種を播いてから75年目のことでした。
あなたがたは、地の塩である。……あなたがたは、世の光である。マタイによる福音書 5章13〜14節(口語訳)
山上の説教の一節です。学院の説明では、塩は味をつけ、腐敗を防ぎ、清めるもので、目立たないところで社会のために働く姿を表します。光は道を示し、照らし、温めるもので、周りに希望を与える姿を表します。そしてこれは「こうなりなさい」という教えである前に、「あなたはすでに、かけがえのない存在だ」という宣言だとされています。
入学式の「あなた方は選ばれた」と、このモットーは同じことを別の角度から言っています。あなたは呼ばれてここにいる。だから、塩として、光として、人のために働け。
| 受け取り方 | 聞こえ方 | 元の文脈との距離 |
|---|---|---|
| 特権として | 難関をくぐり抜けた自分たちは特別だ | 遠い。元の節は「自分で選んだのではない」と言っている |
| 役目として | ここで得たものを、行って人のために使え | 近い。「実を結ぶために」選ばれた、という続きそのもの |
| かけがえのなさとして | 点数ではなく、あなたという存在が呼ばれた | 近い。学院がモットーを「宣言」と説明する読み方 |
入学の日にどう聞こえたかと、何年もたってからどう聞こえるかは、たぶん違います。どちらが正しいというより、言葉が時間をかけて意味を変えていく、その変わり方にこそ、この言葉を入学式で贈る理由があるのかもしれません。
ある卒業生の寄稿です。個人が特定されないよう、年度・学部などは伏せています。
理系から文系に文転した。古文を学ぶのが面倒だったので、国語・英語・政治経済で受けられるところを探した。
学校のトイレでウカロ(合否を見るサイト)を開いて、そのまま親に LINE した。
入学式の日に、初めてその道を歩いた。きれいだった。
「あなた方は神に選ばれました」。そう言われたはずだけれど、聞き流した。讃美歌、オルガン、祈り。初めてのキリスト教の式だったのに、居心地はよかった。
礼拝で聖書を買って、讃美歌を歌ったり、聴いたりした。おしゃれな人は多い。いい人も、わりと多い。箱根駅伝は、毎年応援している。
新聞記者が学生に「青学といえば?」と聞いている場面を見たことがある。男の子が「おしゃれです」と答えると、「違う。君はあまりおしゃれじゃないねえ」と返されていた。青学といえば、駅伝が正解らしい。
両方になれるよう、努力します。
怖がらないで。